僕のいた時間の講演のシーンを書き起し
前クールみてたが、最後まで見入ってしまった。
多部ちゃんもかわいかった。
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澤田です、よろしくお願いします、
誰もが一度は考えたことはあると思います、自分は何の為に生まれてきたんだろうって、病気になる前の僕は、漠然と毎日を過ごしてました、
自分てものが無くて、家族にも本音をかくし、いつだってキャラクターを演じてる自分が嫌でした、大学4年の終わりに、同級生が自殺しました、理由はわかりません、
僕は大きな衝撃を受けましたが、死というのは、まだどこか他人事でした、
そんな僕が、病気を告知されたのは社会人一年目の時です、ALSという筋肉が衰えていく病気です、
最初は、左手に違和感を得ました、次第に左手が動かなくなり、右足も動かせず、歩くこともたつ事もできません、
いつか、モノを飲み込んだり、喋ることもできません、
いつか、人工呼吸器をつけることになります、
だけど、人工呼吸器をつけると喋れなくなります、でも体のどこか一部でも筋肉を動かせれば、意思を伝えられます、
もしどこも筋肉を動かせなくなったら意思を伝えられなくなります、人工呼吸器は一度付けたら、外すことはできないのです、僕はこの病気になって、何度も覚悟してきました、
今を生きようと決めたとき、左腕が全く使えなくなったとき、歩けなくなったとき、仕事が出来なくなったとき、
僕は沢山のモノを病気に奪われてきました、そこに目を向けてもコワイばかりで、今できることに目を向けることしか出来ませんでした、目標を見つけては失うことの繰り返しです、今は医学部に入学することが目標です、この気持ちだけは病気には奪われません、
この先、僕が目標に向かって生きた事実も、奪われないのです、僕は、病気から、人の暖かさを知りました、家族と真正面から向き合えたり、わがままを言えるようになりました、愛情を信じられるようになりました、自分のことがちょっと好きになりました
自分がもっている幸せにも気づかせてくれました、こうやって喋れること、歩けること、走れること、食べられること、笑えること、触れ合えること、風邪を感じること、太陽の光に包まれること、今生きていること、この世にうまれてきたこと、僕は今、新たな覚悟をしなければならなくなりました、人工呼吸器を着けるか、つけないか、死ぬのもコワイし、生きるのも怖い、死ぬ覚悟も、生きる覚悟も簡単にはできません、
周りは、僕が生きてくれればそれでいいと言ってくれます
自分の意思を伝えられないかもしれない状態で、生き続けることが出来るのか、それは、会ったくわかりません、ただ一つわかっていることが、僕がどんな状態になっても、愛とぬくもりに包まれていることです、
家族、有人、先輩、主治医の先生、病院のスタッフの皆さん、介護スタッフのみなさん、そして、いつの僕のとなりにいてくれる彼女
僕は、愛とぬくもりだけで生き続けることが出来るんだろうか、それだけで、僕は自分が生きてる意味を感じる事が出来るのだろうか、生きているだけで手がかかります、
排泄、入浴、食事、たんの吸引、それでも生きていていいんだろうか、そのことをずっと考えて来ました、
僕が生きてるだけで、周りの人たちが、生きがいを感じるんじゃないか、生きる意味を社会に問いかけ続ける事が出来るんじゃないか、じゃあ、僕が僕だけの状態になったときは、それまで僕が生きた時間、僕のいた時間なんじゃないか、僕は覚悟を決めました
いつかその時が来た時のために、今を全力で生きていき
たいと思います、今日はこのような場を与えていただき、
心から感謝しています、皆さんにお会いし、あたらしい
目標を見つけることが出来ました、これからも今日のように自分の想いを伝えていけたらなと思います、今日はどうも
ありがとうございました